3月11日の大震災は、これからの私たちの人生にいろいろな教訓・戒めを教えてくれました。年が変わっても、記憶に留めていかなければなりません。
震災直後は、電気・ガソリン・物流の不自由により、日常生活を送る社会がいかにもろいものか、痛感したわけです。私も通勤手段の困難から、非常電燈だけで、テレビもトイレも浴室も使えない、計画停電中のビジネスホテルで、夜を明かした事は、一生忘れられないでしょう。
そんな中、4月に入り、屋形船 『船清』 http://www.funasei.com/ に勤める後輩から、『景気が沈滞している時こそ、屋形船に乗りに来てください』と連絡が入りました。6月にはなりましたが、私も含め先輩男5人は、後輩の要請に応じ、屋形船に繰り出しました。粋でいなせな品川の船着き場を出航した船は、頂上が夜霧に隠れる幻想的なスカイツリータワーの真下に、しばらく停泊した後、3時間かけて品川に戻ってまいりました。長時間の船旅だけに心配されたトイレですが、これまたホテル並みの豪華さで、おかげさまで宴も心おきなく進んだ次第です。夜の東京湾には、かなりの船の提灯が灯り、世の中、活気が出てきたんだなと、感慨深く初夏の夜を過ごしたことを想い起こしました。
筑波万博では、コンパニオンも経験した、イベント好きな後輩の立案に、全員、深く感謝をしたのは言うまでもありません。
当社の忘年会も、川口工場近くの中華料理店『文文』で先日、無事開催することができました。『文文』さんにはいつも美味しい料理を作っていただきとても感謝しております。今回は当社のムードメーカー石部君と共に、文文のママさんにもブログに登場願いました。
改めて、震災で被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げますと共に、未曾有の震災の年、無事にここまで、業務に励んで来れましたことを、皆様に深く感謝申し上げます。
週末、皆既月食の夜に、Little Fats&Swingin`hot shot partyのJAZZライブ♫を楽しんでまいりました。
コンパクトな会場は、演奏者と観客が一体感を持ち、臨場感ある、とても盛り上がった空間でした。
とにかく体が、ひとりでに動くような、楽しいメロディーを奏でる楽器が、バンジョー・ギター・クラリネット・バイオリン(なかなか味わいあります)・あと見慣れない、昔の洗濯板のような楽器。とても明るく、元気が出てきそうな構成です。
私には、『食の安全・安心を求めて!』をモットーに、いわゆるアグリビジネスで生産農家の方たちの間を、駈け回っている友人K.N氏がいます。
彼とは年に数回会うかどうか?会わない年もあったかもしれません。そんな中会うと、いつも彼が展開している、興味のある仕事の話がほとんどで、資料をカバンから取り出し熱意を持って語ってくれます。とにかく新鮮多種な情報量には圧倒され、ただただ私は目を見張るばかりです。
とにかく新しいものへ熱意・バイタリティー・貪欲さ・見習いたいです。
そんな彼が今注目している『黄金の茸』について、先頃話してくれました。
私も初めて知ったこの『黄金の茸~たもぎ茸』なんですが、非常に優秀な成分を、多分に含んでいるようで、彼の有名な㈱〇〇胃散さんにも、この茸を使った商品が存在しています!
興味のある方は、友人K.N氏の友人の会社のホームページをご覧ください。
週末、長野の牧場へ外乗も兼ね、オグリキャップの長男オグリワンに会いに行ってまいりました。
私は約20年程前、北海道の牧場に当時、未だ健在だった、ハイセイコー・ミホシンザン・シンザン等々、そして オグリキャップを訪ねたことがあります。
ひっそりと静かに余生を送る馬達には、やはり郷愁を誘うものがあります。近くで見るひと時、とても好きな時間です。
偉大な父親の芦毛に比べかなり白い印象の、聡明な感じの息子でした。
当日は晴天にも恵まれ、約2時間、山超え谷超えクマの爪痕残る木々を横目に、スピード感溢れる駈歩を 交え大いにリフレッシュ出来た外乗でした。
心配していた筋肉痛もないようです。
まもなく雪の季節に入ります。
11月に入り、絵の会に出席させていただきました。この会の主旨は、日本画壇会の故今井爽邦先生の孫に当たる、T氏が描く絵(主に山の絵)を見ながら、描いた時の自然美・その土地のエピソード等々を聞きながらの歓談になろうかと思います。
この会には異業種の方達が分野を超えて集まります。普段見聞きしたことのない会話は、非常に勉強になります。
また機会がありましたら、為になったお話をさせていただくかも知れません。
今回の絵は十勝岳です。かれこれ4年ほど前から、見させていただいておりますが、なんでも生涯に100名山を描きたいとのことです。
今回の作品で、丁度50作目とか。折り返し地点です。
これからの新しい50作との出会いを楽しみに待ちたいと思います。
私自身の折り返し地点?もいよいよ来年に控えております。あと50年は難しいかもしれませんが、楽しい人生にしていきたいものです!
今回はボジョレーヌーヴォーのお話を少しさせていただきます。
『ボジョレーヌーヴォーを味わえる幸福 ~ジョルジュ デュブッフ氏の哲学に触れる~』
これは日経ビジネス11月14日号に掲載されていた記事の題名です。
以下記事から引用させていただきますが、彼が地元の地酒だったボジョレーヌーヴォーを世界的ワインへと導いたあるひとりの男として紹介されています。それは4代続くぶどう農家に生まれた彼が、幾多の仕掛けと努力に加え、ワインにかける男の美学と哲学と情熱を貫いたからなのです。
とても興味深い記事を読み、例年よりは少し違った趣で、その日をとうとう迎えました。
11月の第3木曜日午前0時 時差の関係から、日本は世界で一番始めにヌーヴォーを味わえる国とのこと。
その日0時までお店に居座り、ヌーヴォーを堪能したかどうかは、ご想像にお任せいたします。
今回はフジカ濾水機㈱が、なぜろ過装置メーカーとして誕生したかをお話しさせていただきます。
前身の会社名は富士文化工業㈱でした。当時CIを導入して『フジカ』というブランドを確立したことから、㈱フジカになった訳です。
主力商品であるフジカストーブは一時世の中から消えましたが、昨今は復刻モデルがインターネットを中心に、再度人気を博しているようです。
http://fujika.co.jp/html/products01_kheater.html
中には『フジカちゃん』という愛称まで付いている記事もあります。私が子供の頃にも、当然『フジカハイペット』が自宅に有り、とても懐かしく思えます。
http://cadeauange.exblog.jp/12583552/
さて本題です。
主力であるストーブは冬の商品になります。では夏のシーズンには何をしたら良いのか?
そこで連想されたのが「夏→プール」なのです。
プール本体ではありませんが、プールの水をろ過する、ろ過装置を製造するようになり、その後部門を独立し現在に至ったのだと、私は諸先輩方に聞いております。
経緯はとても単純なような?・・・・・ あくまでも私が伝え聞いた話の一つです。
ろ過装置のフジカ濾水機㈱も、愛称を頂けるよう会社になれるよう、今後も地道に歩んでいきたいと思います。
今回は濾過の水博士について、お話させていただきます。
博士はフジカの全自動珪藻土式ろ過装置を制御する、制御盤のタッチパネルの中に登場します。
そして面白い動きをしながら、装置の運転方法を説明してくれます。従い私でも博士のお蔭で、お客様に装置の
説明会が開けるというわけです。
博士の誕生は、もう10年以上前になろうかと思われます。
タッチパネルを制御盤に用いた際、当時の設計技術者K氏がソフトから開発して、絵の上手い彼は、博士を生み出しました。
K氏は当社に来る前の前職が、某大手玩具メーカーのソフト設計者だったということもあり、
堅いイメージの装置制御盤に、楽しい遊び心を植えつけてくれたことになります。
今では博士は、立ち合い検査などの神妙な場面においても、笑いをとるほどの愛嬌で、ほっと場をなごませてくれています。
博士が今後も多くのお客様の元へ、伺えることを願いたいと思います。
先週末茨城県設備設計協会の創立30周年式典に出席させていただきました。
当社も平成21年10月にフジカ濾水機となっての創立35周年の式を挙げさせていただいた訳ですが、企業・組織にとって30年というのは、やはり大きな節目になるのではないかと思います。
当社の式典で当時 『日本には200年以上続く長寿企業が、3000社以上あるとも言われております。2位のドイツを大きく引き離して世界NO.1だそうです。 ただ業種が、酒造り 蔵元・ 食品・旅館・伝統工芸・和菓子等に限られています。日本での歴史の浅いろ過装置での35年は、非常に立派なことです。』のようなスピーチをさせていただいた事を思い出しました。
長く地道に続けることが、非常に大事なことだと痛感しておる次第です。
今後とも永く、よろしくお願い申し上げます。