各地でプール開きの準備真っ只中です。
当社でもろ過装置の製作・保守点検・修理とピーク状態にあります。
今年も作業の事故・怪我もなく、又安心出来る水の提供を出来る様願いつつ、お客様と社員に日々感謝しております。
昨日は金環日食の話題で、早朝から持ち切りの日本列島でしたが、いよいよ2008年7月14日に着工した東京スカイツリーがあいにくの天気ですが、本日オープンです。
名称決定の際、公募で一番多かった『大江戸タワー』が商標の関係で見送られ、今や完全に東京スカイツリーの名前は定着しました。
建設中からも絶えずタワーの存在は、多くの地域範囲で確認されていたことでしょう。私も筑波山山頂・サンシャイン展望台・川口の当社・電車・高速etc
フジカでは今年のプール開きまでの工期で、墨田区内の学校の濾過装置の設置工事を進めております。社員が現場での帰り道、撮影してきてくれました。世界一のタワーのお膝下で、又オープン時に仕事が出来ることは、会社としてもつくづく幸先良いことです。
4月に入り桜も満開になりました。街には桜を愛でる人達で溢れています。
昨年は震災の影響で、先行き不安の中、花見の時間を過ごした記憶が蘇りました。
年度内各ろ過装置改修工事の方も怪我・事故なく無事に終わり、プールは夏のシーズンに備えることになります。
昨年は夏にプールがオープンされるのだろうか?
ろ過装置が活躍する機会が来るのだろうか?
という中での新年度でした。
今年は未だに予断を許さない、節水・節電・放射能の問題は世の中にありますが、オフのまだよどんでいる水をたたえるプールは、確実に綺麗になって、シーズンを迎えることになると思われます。
この写真は被災地に程近いある総合病院に、平成21年に納入された当社の災害用ろ過装置です。
震災直後は病院内の非常電源の元、貯めてある水と
消防からの補給水を使い、水道復旧までの約1週間、ろ過装置は稼働したということです。
お役に立てたとはいえ、出来れば稼働するような事態は避けたい装置です。
H24.3.11 外出先で黙とうをして、各メディアの映像等を見ることにより、再び震災時の光景が強く蘇えりました。
と同時に復興には、まだかなりの時間がかかる事が胸を痛めました。
装置オーバーホール中の写真は緊急用移動式ろ過装置です。ガソリンがあれば、プールの水などをろ過して、時間当たり約2㎥/tの飲み水を供給出来ます。災害に備えた日々の準備が、改めて必要だと強く感じます。
昨年6月にオープンをした茨城県牛久市ひたち野うしく小学校の温水プールです。
年間を通して一般開放をしている小学校内の施設としては私の知る限り県内2校目、全国でも非常に珍しいのではないでしょうか。
http://www.city.ushiku.ibaraki.jp/section/undoukouen/hitatino_pt.html
学校の電気は太陽光発電。
プールの水は井戸水を使用し、ろ過方式は当社の全自動珪藻土方式を採用しています。
又プール水の塩素消毒には食塩から精製するシステムを用いているため、身体にも優しいプールになっております。
この冬の大寒波の中でも利用出来る数少ない通年型公共プール施設です。
夜間も営業している関係で勤め帰りの方にも好評です。
今回はフジカ濾水機㈱が、なぜろ過装置メーカーとして誕生したかをお話しさせていただきます。
前身の会社名は富士文化工業㈱でした。当時CIを導入して『フジカ』というブランドを確立したことから、㈱フジカになった訳です。
主力商品であるフジカストーブは一時世の中から消えましたが、昨今は復刻モデルがインターネットを中心に、再度人気を博しているようです。
http://fujika.co.jp/html/products01_kheater.html
中には『フジカちゃん』という愛称まで付いている記事もあります。私が子供の頃にも、当然『フジカハイペット』が自宅に有り、とても懐かしく思えます。
http://cadeauange.exblog.jp/12583552/
さて本題です。
主力であるストーブは冬の商品になります。では夏のシーズンには何をしたら良いのか?
そこで連想されたのが「夏→プール」なのです。
プール本体ではありませんが、プールの水をろ過する、ろ過装置を製造するようになり、その後部門を独立し現在に至ったのだと、私は諸先輩方に聞いております。
経緯はとても単純なような?・・・・・ あくまでも私が伝え聞いた話の一つです。
ろ過装置のフジカ濾水機㈱も、愛称を頂けるよう会社になれるよう、今後も地道に歩んでいきたいと思います。
今回は濾過の水博士について、お話させていただきます。
博士はフジカの全自動珪藻土式ろ過装置を制御する、制御盤のタッチパネルの中に登場します。
そして面白い動きをしながら、装置の運転方法を説明してくれます。従い私でも博士のお蔭で、お客様に装置の
説明会が開けるというわけです。
博士の誕生は、もう10年以上前になろうかと思われます。
タッチパネルを制御盤に用いた際、当時の設計技術者K氏がソフトから開発して、絵の上手い彼は、博士を生み出しました。
K氏は当社に来る前の前職が、某大手玩具メーカーのソフト設計者だったということもあり、
堅いイメージの装置制御盤に、楽しい遊び心を植えつけてくれたことになります。
今では博士は、立ち合い検査などの神妙な場面においても、笑いをとるほどの愛嬌で、ほっと場をなごませてくれています。
博士が今後も多くのお客様の元へ、伺えることを願いたいと思います。